AIM(エイム)学習セミナー 地域密着30年の信頼小学生から高校生までの受験・補修専門塾

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石巻へ震災復興支援活動に通いはじめて10ヶ月が経過した。石巻出前寺子屋「検定合格講座」と名付けた学習支援活動だ。月2回の日曜日にスクーリングと称する学習会を実施し、6月17日の活動をもって23回を数える。これまで在席した受講生は48名で、内訳は学生20名、大人28名だ。

人の方が多いのを意外と思われるかもしれないが、テーマが漢字検定とあってはうなずける。もともと石巻市内に漢検の受検場がなかった。学校か塾しか受検の機会がないとなると、大人の方が受検することはまず無理であった。ましてや震災直後の時期には、漢検であれ何であれ学習の機会そのもが失われていたのが実状であった。そんな折に、首都圏から落下傘のごとく舞い降りた一団が、漢検の受検を提供しましょう、それも無料で、となると歓迎されたのも当然といえよう。

告知は仮設団地へのチラシくばりから始まったが、地方紙で広報されてから一気に講習生が増加した。そしてその後は人が人を呼ぶ結果となり、学生と大人が机を並べて学習に取り組むという「寺子屋」の原型が生まれた。ここから「家庭学習の復興」という新たなテーマが確立し現在にいたっている。

津波によって多くの物を失った方々だが、学びへの欲求を失うことがなかった。むしろ、物は失うことがあるが知恵や知識は失うことはない、と実感されたことであろう。そんなわけだから、月に2度きちんとスクーリングに来られる人たちの、学びのモチベーションはきわめて高い。自宅学習を欠かすことなく、黙々と漢字学習に取りくむその集中力は、どこかの受験生に学ばせたいものだ。寺子屋に参加している学生にとっては、そういった学習環境を共有することで、大きな刺激を受取っていよう。

その成果は検定の結果に如実に表れている。これまで3回の漢検を実施したが、受検者58名中合格者は何と52名である。合格率は89.6%、得点平均は160点(200点満点)を超えるのである。

我々現役の塾講師はここから何を学ぶか。先にふれた「学びのモチベーション」をいかに醸成するか。学ぶ楽しさをいかに共有させるか、そして適度な競争をどのように演出するか。成功する受験生のクラス運営のポイントは、まさにここにあると感じる次第だ。

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ちょうど1年前のAIM通信208号の当欄で、震災後初めて仙台を訪れたこと、その折津波被災地の荒浜地区に入ったことが報告されている。「荒浜地区は仙台駅から車でわずか30分、広大な仙台平野が太平洋に接する穀倉地帯だが、この地区の津波被害は甚大であった。仙台市の犠牲者680名の大半がこの地区の方々である。警察と自衛隊そして工事車両が行き来する現場は、見渡す限りがれきの山と化していた。本来であれば水田に田植えの時期であろうが、田畑は塩害で灰色に塩を吹き芽吹きさえ見られない。はたしてこの田畑が地力を回復するのにどれだけの時間と労力を要するであろうか。犠牲者への哀悼とともに、今後この地で生きていかれる方々の復興へのご苦労に、深く敬意を覚えたのであった。」とその時の感想を記している。

この時の経験が原動力となり、和枝先生は2カ月後の7月に単独石巻に入りボランティア活動に着手した。そして一月後の8月16日、現在の出前寺子屋の第1回の説明会を開催したのである。それから8カ月が経過し活動は5月27日の訪問で記念すべき20回目となる。これほど長く被災地の人々と、学びを共にするとは想像しなかった。継続は力。すくなくとも今年いっぱいはこの活動を継続しなくてはならないだろうと決心するところだ。


閑話休題。この1週間は金環日蝕の話題でもちきりであった。あわてて日蝕グラスをもとめてホームセンターに行ったのだが、1500円もする高価なものしか残っていない。そこでその昔、日蝕観測道具を手作りしたのを手がかりに自作にとりかかった。昔は厚手のセルロイドの下敷きを使ったが、今は適合する素材がない。そこで黒色のクリアホルダーを見つけ、これを複数枚重ねて使うことにした。前日、快晴の太陽にかざして濃度を調整して6枚の観測メガネが完成した。制作実費はわずか300円である。

さて21日本番。曇り空が懸念されていたが、朝6時の東の空はまずまずのコンディションである。薄雲の先に太陽光を確認できる。しかし時間がたつにつれ、あっという間にやや厚手の雲がひろがり、あわやという事態となった。ところがである、この雲が最適なフィルターになり、日蝕の進む太陽を肉眼で確認できたのである。せっかく作った日蝕メガネの活躍の場は失ったが、生涯一度の天体ショーを体験することができ、幸先のよい一日となったのであった。

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