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―夏空に選手宣誓声高し― 夏の高校野球選手権大会が8月6日に開会し熱戦が続いている。開会式を選手入場から王さんの始球式まで、テレビ桟敷でたっぷりと見た。さほど高校野球好きではないので、とりたてて開会式に興味があるわけではない。時間と経済に余裕のある大学の学友が、10名ほどつるんで開会式と初戦をバックネット裏から観戦するとの連絡があり、これにテレビ桟敷でつきあってみようとなった次第だ。

開会式では選手宣誓にいたく感心した。我々の時代の選手宣誓といえば、坊主頭の実直そうな選手が「我々はスポーツマン精神にのっとり、・・・」とがなり上げるが関の山だった。ところが昨今の選手宣誓は趣きが違っている。この日の選手宣誓は京都代表鳥羽高校のキャプテンだったのだが、彼の宣誓は素晴らしいものだった。野球球児らしいはつらつとして発声もそうだが、発言内容がみごとであった。ことにこの日の8月6日の意味を問うたのは、まことに印象深いものであった。広島、長崎への原爆投下そして終戦の日を、8月6日、9日、15日と答えることのできない者が多いと聞く。

終戦日の15日、安倍首相が戦後70年談話を発表した。その評価については議論が分かれるところだ。安倍首相は、この談話を未来につながるものにしたいとの意向であったようだ。「・・・あの戦争になんら関わりのない、私たちに子や孫、そして次の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」の文言にその意が託されている。深く賛同する点ではある。しかし、その時間的線引きはどこにあるのか、何を持って謝罪の終わりとするのか、むずかしいことである。国民一個人としては、もちろん贖罪をまぬがれるであろう。しかし日本という国体として、その指導者の立場であれば、果たしてなにをもって謝罪の終わりとするのか、その明確な解答はなかろう。(志厚)

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